からだに、おせっかい。
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体に優しい、漢方・自然療法のご紹介。
「応急処置」から「からだづくり」まで
漢方の魅力を語ります。
フィクション
大昔、
私たち人類が怖れていたものとは、
自然環境でした。
生き延びないといけませんでしたからね。
これまで人類は、すぐれた知性と、
大人数で協力するという能力によって、
厳しい条件下でも生き延びて、
進歩・発展してきたわけです。
ところが今、科学技術が進歩し、
ものやサービスが豊かになっても、
ヒトの心は不安を抱えています。
現代の私たちが怖れているものは、
いったい何でしょうか?
ちょっと考えてみてください。
私たちは、人同士で怖れ合い、
人が作り出したものに怖れている
といっていいのかもしれません。
人間は、もともとの大自然にはない
様々なものを作り出してきました。
例えば国境や、規則、罰則、貨幣などですね。
これらを「フィクション」と呼びます。
フィクション(fiction)は、辞書を引くと
「事実でないことを事実らしく作り上げること」
「想像上のもの」「捏造されたもの」…
などとあります。
現代に住む私たちは、
生まれたときからフィクションの中で
育ってきましたから、
それがもともとの大自然の仕組みだと
勘違いしてしまっているところが多々あります。
例えば、
お金がないと生きていけないとか、
規則を守らないひとは人格破綻者だとか、
病気はクスリがないと治らないとか、
ワクチンがないと安心しないとか…
そういったことです。
フィクションのチカラ
私は、この日本に
日本人として生まれたことを
誇りに思っていますが、
実はこれも
一種のフィクションなんですね。
自然界のサルは、
一緒に行動している群れが一つの世界で、
せいぜい多くても150頭が限界です。
ところが、僕ら日本人が
「ニッポン!」と叫ぶと、
沖縄から北海道まで、
全然知らない1億2千万人以上の人たちが、
日本のもとに心をひとつにできたりします。
これがフィクションの力です。
法律も、会社も、金融や政治の仕組みも、
全て人類が作り出したフィクションであり、
これをうまく使ってきたことで、
人類は素晴らしく発展することができました。
フィクションの害
ところが、
これらの仕組みのチカラに
束縛されると苦しくなります。
そしてその結果、
怖れが産み出されるのでしょう。
これらは自然の摂理とは言えませんし、
ある意味「虚構」ですから、
うまく利用するためにあるのであって、
決して縛られてはいけないのですね。
第二次世界大戦、米ソ冷戦、
リーマンショック、中東難民問題、
米中貿易戦争、タリバン対米国、
そして新型コロナウイルス騒動。
これらは全く違う問題として
メディアは取り上げています。
教科書だけの視点では、
大きな流れが見えません。
世界から見ると日本人は
危機感ゼロで寝たボけてると
久しく言われていましたが、
コロナをきっかけに、
これまでの体制に対して、
何かおかしいぞと思い始める若者達が、
この日本でも増えているようです。
ところが、
先日の衆院選を取材した
テレビのインタヴューでは、
相変わらず、選挙に行かない
若者の映像ばかりを集めて、
さも当然とばかりに取り上げていました。
コロナ問題にしても、
こういったことが国民をミスリードする
ことにつながっていると感じています。
メディアは危機感を煽り、
国民の声を代弁するフリをしながら、
本当の解決を望んでいないようにも見えるのです。
多数決の欺瞞
アメリカで5歳以上の子供への
ワクチンが始まりました。
世界中で、これまで以上に
依存体質の人々を作りたいようです。
ここまで読み進めるあなたのように、
普段から考える癖のある人は、
これらはフィクションだな~と分かるのでしょう。
しかし、情報をただ飲み込むことを
繰り返してきた多くの人は、
多数決に慣れ切ってしまっているので、
反対する人々の意見など
大して気にかけないかもしれません。
結局知らず知らずのうちに
どんどんとがんじがらめになって
いることに気付けないまま、
ゆくゆく「まぁ、仕方ないよねぇ~」
となんでも受け入れる羽目に
なってしまうのかもしれません。
社会が発展すればするほど、
仕組みは巧妙になり、
知らず知らずのうちに
人の自由を奪っていきます。
社会構造をうまく利用しつつ、
また従うべきところは従いつつ、
だけど、心の自由まで失わないように
気を付けて歩みたいと思っています。