からだに、おせっかい。
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体に優しい、漢方・自然療法のご紹介。
「応急処置」から「からだづくり」まで
漢方の魅力を語ります。
災害列島
今年は空梅雨なのかなと思っていたら、途中からちゃんと日本らしい梅雨になりましたね。お手元に届くころには梅雨はもう明けているとは思いますが、そのころの新聞では、熱海の災害の記事の隣には、熊本豪雨から1年という記事があって、その後には山陰方面の線状降水帯の記事も載り、日本のどこかで毎年災害が起きていることを痛感しました。私たちは災害列島日本に住んでいるということを思い出させられます。
日本では、毎年、国土のどこかで災害が起こり、無事なところもあれば、甚大な被害を受けるところもあります。そのためむかしから助け合いの文化が広くはぐくまれてきたと言われています。
しかし日本では、中国大陸やヨーロッパの国々と比べて、この長い歴史の中で、飢饉や疫病などで人口が激減するということがほとんどありませんでした。それには、実は古来からの政治の仕組みと各地の神社の役割もあったんだよ、というお話をお聞きしてきました。
助け合いの歴史
幸いなことと言うか、我が国では天然の災害が毎年やって来るとはいえ、それは必ず地域限定で起こります。日頃からみんなでお米を備蓄していれば、災害に遭った地域にお米を融通することができます。これを行うため中央に管理機構が置かれました。 大切なお米の全国的な管理をするところを「みやこ」と呼んだのだそうです。「みや」は大切なところ「こ」は米蔵のことなのだそうです。 さて、今から2500年前に、疫病によって日本の人口が3分の1に減ってしまったことがあったという事実を、2019年に東大の研究チームが明らかにしました。 古事記や日本書紀では、第10代崇神天皇の時代に、人口の半分以上が失われたという記述があり、時代考証からほぼ一致するそうです。
ところがそれ以降、日本でも、たびたび疫病の流行が世間を騒がせましたが、国内を揺るがすほどの大規模な人口減少は一度も起こっていません。それはヨーロッパや中国大陸での現象とまったく大きな違いです。さて、今から2500年前に日本ではいったい何が起こったのでしょうか?
神社の意外な役割
日本国史を幅広く研究されている小名木善行さんの著書によると、そのカギは全国の神社にあるということが示唆されていました。
2500年前といえば、ウイルスや細菌の存在なんてわからなかった時代のことですので、多くの人が亡くなっていく事態に直面された当時の天皇、崇神天皇は、もっぱら神々に祈られました。
するとあちこちの神々(神社)から、ああした方がいい、こうした方がいいと様々なご神託が届けられたそうです。ところが、あまりに多数の神々があるために、方々から次々と意見が寄せられて、収拾がつかなくなったため(笑)、全国の神社を4つの階層に組織化され、まとめて意見を出すようにされました。いわゆる神社の中央集権化ですね。
手水舎
それとともに実施されたのが、全国の神社に手水舎(ちょうずしゃ)を設置することでした。神様に向かう前に、口と手を浄めるということが全国で始まったわけですね。
当時、人々が一番集まる神社でのこの手水の慣習は、それがとても良いことだからと、各家庭でも手洗場が普通に設けられるようになりました。
つまり、多くの日本人が、各家庭で習慣的に手を洗い、口をゆすぐということを我が国では2500年前から、行ってきたということになります。水が豊富な我が国ならではの慣習でしょうね。
この手洗いの習慣によって、我が国では、2500年前の人口激減以降、歴史上何度も疫病が流行しましたが、国家が揺るがされるほどの大量死という事態は一度も起きていないということでした。
スゴイですね。お米を備蓄して融通したことといい、手洗いや口濯ぎの習慣といい、こういった先人の知恵で、飢饉や疫病を乗り越えてきたのですね。
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